「意外とうまくいかねーもんだな」
「いやいや頑張ってくださいよ黒尾サン言い出しっぺでしょ」


俯いたままの黒尾のぴょんぴょん跳ねる寝癖を見下ろしながらそう言えば、「まぁそれっぽく見えりゃ十分だろ」なんてテキトーなことをぬかすので思わず殴りそうになったけど、殴った衝撃で手元が大きくぶれそうだったのでやめておいた。俯く黒尾がじっと見つめる先には私の指先。そんな彼の手にはコーラルピンクのマニキュアの刷毛が握られている。普段自室で一人黙々と行う作業を、その独特のシンナーの匂いを、黒尾と二人で嗅いでいるって、なんだか妙な気分だ。ついでに黒尾に手を長時間触れられているのも、それはもう妙な気分で。この五月蝿い心臓の音が、手を通して黒尾に伝わっちゃうんじゃないかっていうくらい。

忘れ物を取りに来たと言って部活後の教室を偶然訪れた黒尾は、誰も居ないことをいいことにのんびりとマニキュアを塗っていた私を見付け、「もそういうのするんだな」とどこか感心したように声をかけてきた。するよ、たまにだけどね。明日から連休だし。目線は自分の指先に集中させたままそう答えれば、…フーン、と黒尾は興味があるのか無いのかよく分からないような返事をして、それが当たり前のことのように、私の座ってる机の真ん前の椅子を跨ぐように座り、頬杖をつきながら、マニキュアを塗る私の指先をぼんやりと観察し始めた。他人に見られるのって、ましてや黒尾に凝視されるのって、なんだか落ち着かないなぁ、そう思っていたら黒尾が予想外の提案を申し出た。「なぁ。それ、俺にやらせてくんない?」と。

そうして恐る恐る刷毛を動かす黒尾の指によって、私の指先がひとつずつピンクに染まっていく。決して綺麗とは言い難いけど慣れてきたのか最初よりも確実に塗るのがどんどん上手になっていく黒尾に対して、黒尾が集中を傾ける対象が私の指先であるという事実や、固定するために私の手を軽く握るその無骨な手のひらの感触に、私はいつまでたっても慣れることができない。どれだけ時間が経ったのだろう。世間話みたいな会話も無く、ただ沈黙のなかで黒尾の静かな呼吸音だけがやけに耳に響いて、あぁもう、心臓が、


「なぁ、、」
「、ぅえっ、  な、なに」


突然名前を呼ばれ、思わず声が裏返った。反射的にしまったと思ったけどもう遅かった。大袈裟な私の反応に驚いたように一瞬だけ目を丸くした黒尾は、少しだけ口元を緩めて「やっぱなんでもないわ」と言葉を濁してまた俯いた。え、なに。言いかけで中断される方がよっぽど気になるじゃんか、そう反論しようと口を開きかけたそのとき、不意に私の指を固定していた黒尾の手の力が、ぎゅ、と強まった。「 っ、」驚いて言葉に詰まる私に気付いているのかいないのか、黒尾はそのまま自らの指で、輪郭を辿るように握った私の手のひらを自らの指でそっと撫でた。


「 っちょ、黒尾っ、」
「ん?」
「  ん?じゃなくて…っ」


くすぐったいような感覚に思わずぞくりと粟立つ。精一杯の抗議の意味を込めて睨みつけるように黒尾の方を見上げれば、正面で私を見据える黒尾がまるで悪戯っ子のようにニヤリと口端を上げていて、その私の気持ちも動揺もすべて見透かしているような態度が恨めしい。


「 黒尾は私を怒らせたいの」
「違う。…いや、違わないかもな」
「どっちよ」
「俺の言動に動揺するおまえが見たい」
「  え 、」


――そんなの、もうとっくに。

思わず口から零れ落ちそうになって、だけど口にしてしまったら彼を前にして認めてしまうのと同じことだとなけなしの理性と意地が働いて咄嗟に言葉を飲み込んだ。いつもみたいになんでもない冗談めかした減らず口が反射的に脳裏をよぎったけど、ふと目が合った黒尾の瞳がじっとりを私を見つめたままで、先程のほんの一瞬の沈黙が、言いかけた言葉が、既にすべてを彼に伝えてしまっていることに、今更ながら気付く。きっとそんな心の動きまでも表情に出してしまっているのであろう私を見て、黒尾は静かに唇に弧を描いて、内緒話みたいに呟いた。「もっとだよ」、と。



指 先 に て カ デ ン ツ ァ

(140722)