「なぁ、いい加減機嫌直せよ」


背後からかけられた、少し宥めるような、それでいて気怠そうな声。私はその声がまるで聞こえていないかのように無視を決め込んで、歩調を緩めることなくただスタスタと歩き続ける。沸き立つ苛立ちや渦巻く負の感情のなかにある、彼が追いかけてきてくれてよかった、愛想尽かされなくてよかった、という安堵。そんな情けない本心なんか、気付きたくもなかったのに。奥歯を噛んで前へ前へと足を運びながら、だけど意識は少しだけ後方に。あまり大きくはないけど少し地面を擦るような彼独特の足音が遠くで聞こえることに、私はやはり嬉しいと思ってしまうのだ。本当に彼から離れたければ、このまま走って逃げてしまえばいいのに、それをしないのが紛れも無い証拠だ。癇癪を起こしてその場を去れば、優しい彼はめんどくさいと言いつつ追ってきてくれるかもしれない。そんな考えが一瞬でも頭を過った、浅はかで愚かな私。

彼が追いかけてきてくれたからといって、なんだというのだ。私は結局、観念して立ち止まり彼と相対することも、歩調を早めて彼を振り切ることもできずに、ただ彼が追いつけるペースを保ったまま、後方の微かな彼の気配が残っていることに安心しながら、一度も振り返ることなく歩き続けることしかできていない。

はァ。何度目かの小さい溜息が後方で聞こえて、私は思わず小さく肩を揺らす。ほんっと意地っ張りだなテメーはよ。独り言のような彼の掠れた声がしたのと同時に、  彼の足音が、止んだ。

どくん、 とひときわ大きな心臓の鼓動が私の鼓膜を揺らす。数瞬の戸惑いは私の動きを止めるには至らず、もはや残った無機質な意地だけが私の足を勝手に運んでいく。シカマルの足音は、もう聞こえない。気配もよく分からない。もう私に愛想を尽かして居なくなってしまったに違いない、そう思うのに、確かめることが怖くて振り返ることができない。いなくならないで。私のそばにいて。声を大にして、呼び止められたらいいのに。再び奥歯を噛んで、次の足を前に踏み出そうとした瞬間――ぴたりと、私の足が動かなくなった。正確には、足だけではなく、全身が、時間が止まったように、動きをなくした。


「 捕まえた。」


シカマルの声が背中越しに私の耳に飛び込んできた。彼の術に一度捕まってしまえば、足を再び踏み出すことはもうできない。身体が思うように動かなくて、だんだんと苛立ちが沈静化し穏やかさを取り戻すのと同時に、自分の情けなさと羞恥心で消えたくなってくる。穴があったら入りたい。俯いて目を閉じたそのとき、私の身体を硬直させていた力から突如解放され、力が抜けていたらしい私はそのまま崩れ落ちるようにして地面にしゃがみこむ形となった。すた、すた、と無気力な足音が少しずつ近付いてくる。「……術、解いて良かったの。私このまま走って逃げるかもしれないのに」振り向くことはせずにただ負け惜しみでそう告げれば、「テメーの場合は一瞬でも動き止めりゃ十分だろ」と的確な答えが返ってくる。

気怠げな足音は私の横で止まり、俯いた私の視界の端にはシカマルの脚が見える。彼は顔を下げたままの私を無理矢理覗き込むようなことはせず、ただいつものようにポケットに片手を入れ突っ立ったまま、しゃがんだままの私の頭を、ぽん、と撫でた。あたたかい手の温度と少し骨張ったその感触に泣きそうになる。


「……めんどくさいヤツ、って思ってるんでしょ」
「あぁ。ほどめんどくせー女はそう居ねぇよ。おかげで退屈しねーけどな」


頭上から降ってきたその声が、やたらと柔かくて優しくて、思わず導かれるように顔を上げれば、そこでようやくシカマルと目が合う。相変わらず無気力で気怠げな面持ちの彼は、私の顔を見て、一瞬だけ目を丸くさせたあと、「はっ ヒデー顔」と顔をくしゃりとさせて笑った。ツボに入ったのか肩を揺らしながら笑い続ける彼を見て、なんだかいろいろ莫迦みたいに思えてきて私まで思わずくすりと笑ってしまう。そんな私を見やって、シカマルは、ふ、と口端を上げ、もう一度だけ私の頭をくしゃりと撫ぜて歩き始めた。歩きながらちらりと振り向いて、彼の後ろ姿をぼんやりと眺めていた私に「あ? なにしてんだよ、さっさと行くぞ」とぶつくさと急かすことを忘れずに。私はようやく重い腰を上げて、だらだらとゆっくり歩く彼の背中を追いかける。ポケットに突っ込まれていない方の手を握ってもいいのか、少しだけ迷いながら。



おにさんこちら、てのなるほうへ

(150330 某舞台で3次元の彼を観ましたよ記念)