背後から投げかけられた声に振り返ると、デビトがウイスキーを片手にニヤリと口角を上げていた。その姿を確認して、私は再び前に視線を向ける。彼の問いに さぁね、と曖昧な返事をしながら、持っていたダーツをまっすぐに飛ばす。その先は狙ったところからは大きく外れて、点数が低いところにしか当たらなかった。私は小さく溜息をつく。 どうにもうまくいかないことだらけだ。
「その反応は図星かい? 相変わらず分かりやすいねェ、お嬢は」
横目でちらりとカウンターに座っているデビトを窺い見ると、手の中で氷の浮かんだウイスキーグラスを弄びながら相変わらず楽しそうに笑っていた。……そんなに分かりやすいかな、私。
でもあれは喧嘩とは言わない。ただ私が、むかついて、悔しくて、一方的に拗ねて部屋を飛び出してきてしまっただけのこと。先程のやり取りを反芻しながら、ふつふつと湧き上がるむかつく感情とか、大人げないことをしてしまっている罪悪感とか、それでも彼があの冷静な顔を崩すことのないことへの寂しさとか、なんだかいろいろな感情が胸のなかで渦巻いて、うまく心の整理が出来ない。
「どうせ何も言わずに抜け出してきたんだろ?今頃大勢が血眼になってアンタを捜してるだろうよ」
「……」
「まさかこのカジノに来てるとは誰も思わねェだろうが……駆け込み先間違えたんじゃねぇか?」
「……だって他のみんなのところ行ったって連れ戻されるだけだもの」
デビトの言うとおりだった。今回は指令でも何でもない、ただ家出まがいのことをして屋敷から抜け出してきただけなのだ。今頃みんな私のことを必死に捜してることだろう。街の他の何処でもきっとすぐに見つかってしまう。なかなか見つからなくて、匿ってもらえそうな場所ときたら、ここしか思い付かなかった。きっとルカが知ったら顔面蒼白で倒れてしまうに違いない。彼は普段から、指令でもない限りこういう場所には近づくなと口煩いから。 「それに、いいの、ちょっとこーゆーとこで遊びたい気分だったから」と付け足しながら、もう一度新しいダーツを正面に投げる。すると今度はドンピシャで真ん中に当たった。よし。 私だって、いつまでも子供じゃないんだから。誰にでもなく心の中でそっと呟く。
「 ヘェ。 こういうところで遊びたい気分、ねェ?」
「……何よ」
「いいや、何も?」
何も、と言いつつ、デビトは片手で頬杖をつきながらこちらを見てにやにやと含み笑いをしている。「迷子のオヒメサマを迎えに来る騎士は誰なんだろうなァ、 過保護なムッツリ執事か、食うこととお嬢のことしか考えてない筋肉バカか、それとも――」 デビトはそこで言葉を区切って、俯き気味に フッと空気を漏らして笑った。「ま、どうでもいいがな」 と、彼はコトンと音を立ててカウンターにグラスを置いた。
「それよりバンビーナ」
こちらをまっすぐに見据えたデビトと目が合って心臓がドキリと鳴った。カツ、カツ、足音を立てて徐々に近付いてくるデビトがいつもと違う空気を纏っていて、気がつけば私は彼と距離を縮めないよう後ずさりしていた。しかし一歩、二歩と下がったところで背中には硬いアスファルトの感触。そっか、後ろはもう壁だったっけ、 背後を確認しようと首を後ろに傾けると、いつの間にか距離を詰めていたデビトの腕が伸びてきて、私はその腕に顔の横側を挟まれて逃げられない状態になっていた。
「 デ、 ビト…? 」
「さっき、遊びたい気分だって言ってたな。 折角なんだ、俺と楽しいことして遊んでこうぜ?」
至近距離で目を覗きこまれて、思わずたじろぐ。普段は口ばかりで手なんて出してこないくせに今日は一体どうしたのよデビト、と頭のなかがぐるぐるしてきて、 ああもうどうしてこんなときに限って他に人がいないんだろう、 いや私の来訪で店員さんを人払いしてくれたんだったそうだった 、 べつにデビトのことは嫌いじゃないけどこういうのはちょっと違う、 確かに屋敷飛び出してカジノに駆け込んだのは私が考えなしでしたごめんなさい神様私が悪かったです許してくださ――
「―――あ、」
我ながらその場に似つかわしくない素っ頓狂な声をつい上げてしまったのは、デビトの肩越しにこちらに近づいてくる人影が見えたから。そしてそれが思ってもみない人物だったから。 黒のスーツに、サングラス。煙草を吹かしながら気だるそうに歩いてくるその姿を、私が他の人と見間違える訳がない。
目を丸くさせて口をぱくぱくさせている私に気付いて、「ん?」とデビトも体勢はそのままに自らの背後を振り返り、 彼も驚いたのだろう、一瞬目を見開いたあと、 「……ヘェ、これはこれは、予想外な男が来なすった」 と感心したような声色で言いながら口端を上げた。
「よぉ、ジョーリィ。相談役のアンタがわざわざこんなところにお出ましか?」
デビトは身体を起こしてジョーリィの方に向き直った。そこでようやく私は解放されたことになり、ひとまずほっと胸を撫で下ろす。でも、なんでジョーリィがここに? だって彼の性格上、一方的に拗ねて屋敷を飛び出した私をこんなところまでわざわざ迎えに来るとは思いにくい、 でも、もしそうだとしたら? 混乱したままの私を余所に、からかうような笑みを浮かべていたデビトは、ジョーリィが何も云わず煙草の煙をゆっくりと吐き出すのを見て、大袈裟に肩をすくめた。
「んなこわーいツラすんなって、俺は迷子のお嬢様を保護してたんだぜェ?」
私の家出の理由がジョーリィなのだと知ってか知らずか、「なぁバンビーナ?」と彼は私に同意を求めながら、俯いたままの私の肩を抱いてぐいっと前に押し出させた。反射的に顔を上げれば、必然的にこちらを向いていたジョーリィと目が合うことになる。そうなってはいつまでも目を逸らしている訳にはいかず、観念して睨むようにその目を見つめても、サングラス越しの彼の表情は私には窺い知れない。
「……お嬢様、行くぞ」
やっと口を開いたかと思えば、そんな素っ気ない一言を告げるとジョーリィは店の出口に向かってすたすたと歩き出してしまった。横では「おーおーこえー」とデビトが快活な笑い声を上げる。お嬢様、行くぞ。先程の彼の言葉が何度も頭の中でリフレインする。その言葉の意味するところはつまり。
「 ……ジョーリィは、私を迎えに来たってこと?」
「それ以外に何があるって言うんだい?」
私の独り言にも似た呟きへの返答に、横に立っているデビトを見上げると、彼はにんまりと心底楽しそうに笑っていた。再び店の出口のほうを見れば、ジョーリィの姿はもう見えなくなってしまっていた。このままでは彼を見失ってしまいそうだ。そう思ったら反射的に駆け出していた。 「チャオ。 また遊ぼうな、バンビーナ」と、走り出した私の背中に向かって声をかけながら、デビトは楽しそうに口端を上げ、ひらひらと掌を振る。その姿を一瞥し、挨拶代わりにぺこりと頭を下げて、私はより強く地面を蹴りだした。
店を飛び出せばその後ろ姿は案外容易く見付けることが出来た。スピードを速めて彼に追いついてからも、ジョーリィは私を横目でちらりと一瞥しただけで、無言のまますたすたと歩調を緩めることなく歩いていく。足の長さの違いにより、私が彼の歩調に合わせるには少し小走りのような形になって、それが少しむかつくけども、その横顔を斜め下から覗き見ても彼が何を考えてるかなんて分かる筈もなく。
こんなとき、例えばルカだったら口煩い説教が延々と続くだろうし、例えばノヴァだったら幹部としての自覚が足りないーなんてネチネチ嫌味を言われるに違いない。だけどジョーリィは無言のままだ。怒っているのか、呆れているのか、それさえも分からない。 私を迎えに来てくれたのは、優しさなのか、体裁なのか。何処までが嘘で、何処までが本音なのか。
「どうしてあの場所が分かったの?」
「さてねぇ、特に深い意味なんて無いさ。そもそも君を見付けたのも偶然に過ぎない」
このままじゃ埒が明かないと、思い切って横に並んでその横顔に問いかけてみたはいいものの、返ってきたのは素っ気ない内容で、さらにそんな私に追い打ちをかけるように、「もともとあのカジノの周辺に用があったんだ。そしたら君を見たっていう目撃情報が手に入ってね」と彼は淡々と述べる。何事も無かったかのように返事をしてくれるだけでも良かったのかもしれない。 あーそうですよね、わざわざ私を捜すためだけに相談役サマがこんなところまで来る訳ないですよねー、と心の中で悪態づいて、顔に出さないようにこっそり落ち込む。私は何を期待してるというんだろう、この喰えない冷徹男に。
「お嬢様がいなくなって屋敷中大騒ぎだったんでね。無事見つかってヨカッタヨカッタ」
そんなまるで心の籠もってない台詞を吐かれても全然嬉しくない。いつもとなんら変わりのない、人を小馬鹿にしたようなその態度を恨めしく思いつつ、その横顔をなんともなしに眺めていたら、 不意に、彼の前髪が濡れていることに気付いた。よく見たら前髪だけじゃない、横の方の髪も濡れてる。 ――あれは、私が喧嘩の去り際に、ジョーリィのばか、なんて陳腐な捨て台詞を吐きながら、思わずコップに入った水を彼に盛大にぶちまけたときのものだ。間違いない。
嘘ばかりで、信用ならない男だけど、ひとつだけ分かったことがある。ぶちまけられた水なんて拭いて乾かしてしまえばいいものの、私が去ってすぐに急いで追いかけてくれたんだって、 ねぇジョーリィ、私自惚れてもいいの? 胸が苦しくなって、つい俯く。 このひとはずるい。
「 ……ごめんなさい 」
俯いたまま囁くようにそう呟けば、ジョーリィはそこで初めて立ち止まって私の方を見た。そして「さて、それは何に対する謝罪かな。身に覚えがありすぎて分からないな」と、からかうような笑みを浮かべる。普段なら腹を立てるところだけど、今なら分かる。これがきっと彼の優しさのかたち。
「……嘘吐きね」
「そう 私は嘘吐きだ」
俯き気味に口端を上げて笑って、彼は再び歩き出した。だけどさっきよりも私が追いつきやすいように歩幅が短くなってること、本人はちゃんと自覚してるのだろうか。その背中に導かれるように私も歩みを進める。いつだって余裕ぶって飄々としていて、自分の胸の内を見せようともしないくせに、ほんとはすごく優しくて、面倒見良くて。 ――ほんとうに、 ずるい。
「ジョーリィのそういうとこが、」
「おっと」
言いかけたところで視界が揺れた。ジョーリィに肩を抱かれて引き寄せられたのだとようやく理解したころに、すぐ背後でバイクのブォオオンというけたたましいエンジン音が聞こえた。 フン、と息を吐き出すその声がすぐ頭上で響いてなんだかくすぐったい。その体勢のまま 「余所見しながらじゃないと歩けないとは、君もまだまだお子様だな」 と、わざと耳元を掠めるように囁きながら、ジョーリィは喉の奥をくつくつと鳴らした。 そうして彼は何事も無かったのように手を離してニヤリと笑う。もう彼との距離は開いてるというのに耳がやたら熱い。
「それで?」
「え?」
「さっきの話。続きだっただろう」
「『私のそういうところが』?」
少しだけ屈むようにしてサングラス越しに顔を覗きこまれて、私は思わず顔を背けて目線を逸らす。すると頭上でまた彼が楽しそうに微笑むのが気配で分かった。ああもう、どこまで分かって言ってるんだか。
「嫌いだわ」
「フッ それはどーーも」
反射的に憎まれ口を叩けば、ジョーリィは心底楽しそうに くくっと喉の奥で笑った。私の単純な嘘を彼は見抜いているだろうか。見抜かれてるような気がする。いや、絶対見抜かれてる。この狸め。
でもねジョーリィ、貴方はきっと気付いていないでしょう。さっき私がデビトに迫られてたとき、サングラスの向こうに微かに垣間見えた貴方の瞳が、少し焦るように揺れていたこと。 だけどそれはまだ内緒にしておくわ。 隣を歩くジョーリィの横顔をそっと盗み見て、私はこっそり思案する。 この喰えない男の嘘を引っぺがすにはどうしたらいいか、屋敷に帰るまで、とりあえずそれを考えることにしましょうか。
あまったるい
嘘
をくらえ
(110817 title by is / ysキャラ夢企画「Le minuit clair」によせて)