cherry jam × Ryunosuke Tanaka

三寒四温と称されるこの季節のことをすっかり忘れ街中のショッピングウィンドウから感じる春の予感に色めき立って、気が急いたまま冬物をクリーニングに出してしまったのは、さすがに失敗だった。ええ、私が悪かったですとも。ひとりごちながらぶるりと肩をひとつ震わせて凍えていると、汗臭いのは我慢しろよ。というぶっきらぼうな声と共に見慣れた黒色のジャージが私の肩にかけられた。腐れ縁のそいつは去り際に私の肩をジャージ越しにぽんと叩いて、先ほどまで聴いていたらしい音楽を再び聴き始める。再び流れる陽気でへたくそな鼻歌を聴きながら、私はその背中を見ながらゆるゆると歩き続ける。「一緒に帰っている」と明確に表現できないくらいの微妙な距離感が、ほんとは少し歯がゆい。

龍が美人で可愛らしい女の子が好きなのも、そんな女の子たちとうまく喋れないのもよく知ってる。お姉さんだっているし、こうやって私とは普通に喋れるのに、それとこれとは話が違うのだとぼそぼそと零す龍の愚痴を昔聞いたことがある。現段階の私の知りうる中で龍にいちばん近い距離にいるのは自分だという自負がある、だけど、それが女子として見られているかは、また別なのだ。嗚呼、複雑な乙女心。龍の優しさも、暖かさも、私がいちばん知ってるのに。こんちくしょうめ。


「  ……龍、は、」
「あ?」
「 ……龍は、私に対しては緊張とか、しないんだよね。平気で触れるもんね、」


振り返って首を傾げる龍に、半ば八つ当たり気味に、先ほど肩に触れた大きい手のひらの感触を反芻しながらそう呟くと、私の言葉に、ぴたり、と停止していた龍が、「 っ、はあああああ!?」とお腹の奥から絞り出したような声をあげた。思わずびくりと私の肩が跳ねる。「おまっ、……、そういうこと言いますか。ああソウデスカ人の気も知らないでそんなこと言っちゃいますか。」ぎゅーっと眉を顰めて、独り言のように龍がぶつくさと口を開く。まさか龍がそんな反応を返してくるとは思ってなくて、その理由も分からなくて、私はただおろおろと戸惑うばかりだ。「え、ちょ、龍、なんか怒ってる?」「おう、スンゲー怒ってる」「ええええ…」 確かに龍は煽られやすい短気な単細胞だけど、基本的に面倒見が良いし紳士だから、龍が私にこうやって苛立つことは今までほとんど無かった。そう、今までは。

ねぇ、龍、 もう一度話しかけようかと口を開いたところで、ぎゅ、と掌を龍に掴まれた。 え、? 私が固まっているあいだに、龍はもう片方の手も握って、こちらにゆっくりと向き合う。いつの間にか両手を龍に掴まれた状態で、近い距離で龍と対峙する形になる。先ほど布越しに触れられたときよりも、龍の少し骨張った手のひらの感触が、体温の暖かさや少し湿り気のある感触が、より直に伝わってきて、自分の体温がじわじわ上がっていくのが分かる。動揺したまま目線を上げると、こちらをまっすぐに見据える龍の瞳と目が合って、ますます動けない。


「   ちょ、龍、」
「俺が今までこうやっておまえに触ったことあったか」
「 え、」
「あったかって聞いてンだよ」
「…な、無かった、と、思いマス」
「そりゃ無ぇよ初めてだから。平気な訳無いだろ。テキトーなことぬかすな」


ぎゅううううう、と、私の手を握る力を少しずつ強めながら、龍が言う。緊張してるっつの。体温たっけぇし。あー…、格好悪ィ。ぼそぼそといつもより早口で続ける龍の言葉が、私の耳を通り過ぎていく。初めて触るな、の手。ちいせえし。ほっせぇし。 私の手を握ったまま、その形を確かめるように触れてくる龍の指先の感触に、なんだかくすぐったいような変な気分になってくる。ねぇ、私に恐る恐る触れる龍の指先がやたらとあったかいのは、緊張してるからなの?それとも興奮してるから? 口にはせずに私の手元に視線を落とす龍のまつげを見つめる。これで龍が顔を上げたら、キスできちゃうなぁ、なんなばかみたいなことを考えながら。嗚呼、強欲な乙女心。私のことどう思ってるの?私に触ってみてどう思った? ……もっと、触ってみたい? そんなことを聞くのは、もう少し後にしてあげよう。