彼に何があったのか私に知る由も無かったし、知りたくないと言えば嘘になるけど彼がそう簡単に口を割る訳が無いということは分かっていたので、知りたいと願うことに意味はあまり無いように思えた。そのくせに、もしも彼が誰かを傍に置きたいと欠片でも思うのであればその対象は私でありたいと願ってしまうこのエゴは、彼の感傷の理由を知りたいと思う気持ちよりもさらに自分勝手だと思った。ほかの誰よりも彼の支えになりたい、癒すことのできる存在でありたい、そう願うのは、彼のためなんかではなくて、結局は私自身のことしか考えていないのだと、そしてそんなことを思う自分は卑怯だと、そう頭では分かっていた。だからいつもと少しだけ様子が違う彼を見て、ほんのちょっぴり胸元に滲んだずるい感情には自分では気付かないフリをする。彼にとっては、ただの察しの良いお節介な先輩のままでいたかったから。
「 財前、まだ居たの?」
なるべくいつも通りの口調で声をかければ、突然の来訪に財前は不意をつかれたのか一瞬だけぴくりと肩を揺らした。そして首だけで振り返ってじろりとこちらを見やる。
「 ……あァ、さん。びびるんで気配消して近付くんやめてもらえます」
いつものように減らず口を叩きながらも、どこか少し緩んだ口調に、弱々しくも聞こえる声色に、やっぱり少しだけずるい気持ちがじわりと胸に滲んで、だけどそんな醜い感情は表に出さずに胸の奥底に沈み込ませる。「部室入るときにも声かけたけど、財前が聞いてなかったんだよ」私はわざとあっけらかんとした口調でそう答える。何気ない会話のはずなのに一言一言がやけに鼓膜に響くのは、誰もいない二人きりの部室が静かすぎるからだ。外では蝉の声が鳴り止まないはずなのに、扉一枚隔てただけでまるで別世界みたいだ。熱帯夜に置いてかれた、私と財前、二人だけの。
「で? さんは部室に何の用事ですか」
「…んー、いつもより元気が無い財前光くんが気になって?」
唐突に核心を突けば、驚いたように顔を上げた財前と目が合う。無防備に見えた表情は一瞬だけで、またすぐ眉間に深く皺を寄せる彼に、なんでもないような笑顔を向ければ、彼はさらに不機嫌そうな、だけど少しだけ眉尻が下がった、ごちゃまぜの表情になった。「ほんま先輩はお節介や」否定することなく独り言みたいにぶつくさと零すその言葉はやっぱりどこか少しだけか細く聞こえた。
「優しい優しい先輩が胸貸そうか?」
「要らないっすわそんな貧相な胸」
「よぉし財前、歯ァ食いしばれ」
「胸はええから、肩、貸してください」
珍しく素直な返答に不意をつかれているうちに、財前は私との距離を縮めて前屈みに俯くようにして自分の頭を私の肩に乗せた。顔を伏せてしまった財前がどんな表情をしているかはこちらからは読み取れなくて、私はといえば身動きが取れないままちらりと横目で財前のうなじを視界に入れることしかできない。肩にもたれかかる重みも、体温も、くすぐったい財前の髪の感触も、そのすべてが私のこころをゆるりと締め付けていく。溜息にも似た静かに息を吐く音が微かに聞こえれば、もうどうしようもなくなってしまった。
「ねぇ財前」
「…なんすか」
「ぎゅってしてもいいですか」
「 ……いちいち聞かんといてください」
財前の返事を聞いて、おずおずと彼の背中に手を伸ばす。ほかの誰よりも彼の支えになりたい、癒すことのできる存在でありたい、そう思ってた。想像ならいくらでもした。見た目より柔らかな髪も、華奢なのに骨張った身体も、そのすべてがいま私の腕の中にある。落ち込んでる財前なんて財前らしくない、いつもみたいに生意気なことばかり言ってむかつくくらいがちょうどいい、早く元気になってほしい、確かにそう思うのに、それと同時に、寄りかかられているという事実に少なからず嬉しさを感じる自分がいるのも、また確かで。なんて浅はかで自分勝手なんだろう。だけどきっとそれが私だ。エゴにまみれてて、不格好で、綺麗なものなんてほんの一握りしかなくて、だけどそれが私の恋だ。
「なぁ名前サン」
「 ん?」
「抱いてもええですか」
思わず財前の方を見やると、体勢はそのままに財前が見上げるように至近距離で私の目を覗き込んでいた。窺うように、睨むように、縋るように、その瞳が揺れている。いちいち聞かないでよ、とか、優しくしてよね、とか、返答の方法はいくらでもあったはずなのにどれが正解か分からなくて、ただ静かに小さく頷いた。その反応を待っていた財前は、髪をかき分けるように手のひらを私の首の後ろに沿わせて自分のほうへ引き寄せ、私の首筋にそっと唇を押し当てた。
すんません。耳元で紡がれたか細い謝罪が何を意味してるかなんて、今の私にはやっぱり知る由も無い。
だけど、ねぇ財前。エゴばかりで、浅はかで、かっこわるくて、でもきっとそれが、私たちなのだ。